有島武郎研究会

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第61回全国大会プログラム・発表要旨・各種ダウンロード

2017年5月10日公開
有島武郎研究会第61回全国大会
《特集 〈通俗〉の中の/〈通俗〉としての〈白樺〉》
 有島武郎研究会の第61回全国大会(2017年度夏季大会)を、下記のように開催いたします。参加自由・聴講無料です。ご関心のある皆様のご来場をお待ちしております。

  • 評議員会〕 12:00〜12:45 ND会議室

===プログラム===

  • 開会の辞(13:30) 

綾目 広治

《特集 〈通俗〉の中の/〈通俗〉としての〈白樺〉》
 (司会)山口 直孝
【シンポジウム 報告】(13:40)
武者小路実篤二宮尊徳』における通俗性と「生長」     
吉本 弥生
“文藝映画”の陥穽―豊田四郎「暗夜行路」を中心に―
永井 善久
有島武郎・希望は戦争・『親子』   
荒木 優太
〔休憩〕 15:20〜15:40
【討  論】(15:40〜16:40)

  • 閉会の辞 

中村 三春

【総会】(16:50〜17:20)
【懇 親 会】(18:00〜)

  • 会場 福寿司 (TEL 086-252-2402)

→発表要旨は「続きを読む」をクリック
【特集 趣旨・報告要旨】

《〈通俗〉の中の/〈通俗〉としての〈白樺〉》

【運営委員会より】
 白樺派文学は、一般的に、〈通俗〉とは相容れないものとイメージされがちである。だが、武者小路実篤の『友情』が今でもなお広く読まれている点などに着目をすると、大正期から今日に至るまで、〈恋愛〉という〈通俗〉文化に深く根づいてきた歴史が見出せるはずである。有島にしても、『惜みなく愛は奪ふ』は、一種の〈恋愛〉論という(形で受容された)面があり、その後の彼の情死もまた、スキャンダル・ジャーナリズム的に消費をされていたわけで、上と同じ意味での〈通俗〉とは決して無縁ではなかった。だが、こうした〈通俗〉との関わりはこれまでもしばしば注目されてきたといえるだろう。今回の特集では、それとはやや角度を変える形で〈通俗〉から〈白樺〉を捉えたい、ということになる。そこからは、思いも寄らない繋がりの深さが見えてくるのではないか。
 たとえば、〈白樺〉の「人道主義」は、今日の「人生論」的な価値規範とどのような関係にあるのだろうか。〈白樺〉の小説作品は、今日の「サブカルチャー」の領域、もしくは「論壇」と呼ばれる領域で生成される言説とどのように関わるのか。また、〈白樺〉のテクストは、〈映画〉的な想像力にとってどのような源泉であったのか。今回のお三方の発表が、私たちにとってそのような問いを喚起するものになれば、と期待している。そして、このシンポジウムが、〈通俗〉という概念そのものの再考にまで繋がれば、とも考えている。

武者小路実篤二宮尊徳』における通俗性と「生長」     
吉本 弥生
 本発表では、武者小路実篤二宮尊徳』(『キング』一九二九年〜一九三〇年)の通俗性について考察する。武者小路はこの時期、続けて『大石良雄』(前半は「赤穂の義士達」『主婦之友』一九三一年)、『井原西鶴』(春陽堂、一九三二年)などを発表している。大津山国夫が一九二九年〜一九三二年までの四年間を武者小路の失業時代(『武者小路実篤全集』第九巻「解説」、小学館、一九八九年、七五三頁)としているように、それらは、武者小路の不遇な時代の産物として、これまで評価の対象にされてこなかった。
 一九二〇年代後半に「プロレタリア文学」や「大衆文学」(時代小説)の隆盛に圧されて人気を失った武者小路が小説や戯曲の読者範囲を越え、より広い読者をもつ世間に名の知れた偉人伝の類を手掛けたものといえよう。「通俗性」をそれぞれの時代に、より広い関心をもつ一般読者向けという最も普通の意味で用いるなら、まさに該当するだろう。
 偉人伝は、日露戦争を前後する「修養」の季節に、年少の読者が内外の偉人伝を読むことで、その努力のあとに学び、心を鍛えることが広く流行しはじめ、時局により、西洋近代の「教養」と入り混じり、第二次大戦期には「武士道」が強調されるなど、思想傾向は異なるものの、戦後にまで及んだとされる。『二宮尊徳』の発表誌の『キング』、「赤穂の義士達」の発表誌『主婦の友』は、その時期、ともに百万部を超える販売数を誇っていた雑誌だった。二宮尊徳を奉じる報徳会は、全国に展開し、隆盛期にあった。
 そして、これら武者小路の偉人伝の特色は、単なる歴史的事実の羅列ではなく、自らの職業へのスキルや人生のあり方を追求する偉人達の「生長」ぶりを尊ぶように書かれており、まさに「修養」そのものにあたっている。逆にいえば、武者小路が一貫して追究してきた「生長」のテーマは、『論語』などを土台にトルストイの思想等を受容し、阿部次郎の人格主義とも共通するような一面をもちながら、独自に練りあげたものであり、より広く大きな「修養」という流れにおいてみるなら、武者小路流の追究であったといえる。
 本発表では、『二宮尊徳』に見られる特徴として、トルストイと尊徳の実践を重ねている点(「尊徳は実によく道のことを知つてゐる。彼は所謂「なくて叶はぬ一つのこと」を実によく知つてゐる。だから云ふことも行ふことも自由自在でまちがひがないのである」(『武者小路実篤全集』第九巻、小学館、一九八九年、四四六頁)に注目し、東洋と西洋の道徳をあわせた「道」の思想、広く一般に通じるという意味での「通俗」道徳の形成過程を検討してみたい。

“文藝映画”の陥穽―豊田四郎「暗夜行路」を中心に―
永井 善久
 文藝映画の名匠、豊田四郎。特に「夫婦善哉」(一九五五・織田作之助原作)を頂点とする、名シナリオ・ライター八住利雄と組んだ一連の東宝系作品が高い評価を受けていることは周知の通りであろう。「猫と庄造と二人のをんな」(一九五六・谷崎潤一郎原作)、「雪国」(一九五七・川端康成原作)、「濹東綺譚」(一九六〇・永井荷風原作)など。本発表で取り上げるのは、しかし、豊田=八住コンビのおそらくは最大の失敗作「暗夜行路」(一九五四・ 志賀直哉原作)である。時任謙作に池部良、直子に山本富士子大映)、お栄に淡島千景、要に仲代達矢といった豪華スターを配することで、興行成績は悪くなかったものの、同時代(現在でも)の評価はすこぶる低い。同時代評をもとにどのような点が批判されたのかを概観したのち、およそ〈通俗〉性の欠如した(実際原作を読むより、映画を観ることの方が多くの者にとってはるかに苦痛であろう)同作品の映像テクストとしての可能性を検討してみたい。
 豊田が喜劇的な手法に秀でていたことは本人も自覚していた。何しろ結果的に、「駅前シリーズ」(全二十四作)の第一作となった「駅前旅館」(一九五八・井伏鱒二原作)を監督したのだから。だが、映画「暗夜行路」には喜劇性など微塵も存在しない。その代りに豊田=八住コンビのもう一つの特色であるメロドラマ性が、原作のリアリズム(「現実」を再現・表象するという「リアリズム」が、存立不可能なことはとりあえず措くとして)を瓦解させると同時に、原作の新たな可能性(それは〈通俗〉性と呼べるかもしれない)を開示する。高見順の原作とはおよそ情調の異なる「如何なる星の下に」(一九六二)をサブ・テクストとして、発表では主にこの点を考察する予定である。

有島武郎・希望は戦争・『親子』   
荒木 優太
 批評家の杉田俊介は『無能力批評』(二〇〇八年)において、「負け組」として抑圧されたポストバブル世代のフリーター(弱者男性)の社会的尊厳を回復させるためには最終手段として「戦争」さえも辞さない、という赤木智弘の論文「「丸山眞男」をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。」(『論座』二〇〇七年一月号)を検討している。その中で杉田は有島武郎に言及する。不平等な社会構造を変えたとしても、個人の失われてしまった青春は元に戻らず、その点で多くの学者は無力だ。けれども、有島はその無力に居直ることなく、個人的な分配のアクションを実行したではないか。いうまでもなく、一九二二年、父から譲り受けた樺太農場を小作人たちに無償譲渡した共生農園の計画である。有島は「勝ち組」だけれども「卑近な実行」を惜しまなかった人だ。本発表では杉田による〈勝ち組/負け組〉時代の通俗化された有島像の翻訳から示唆を得るかたちで、有島最後の創作『親子』(『泉』一九二二年五月)を現代的に読み換える。この短篇小説は正に樺太農場を背景として、生活の安定を配慮して息子に財産を相続させようと齷齪する父親と、経営者として独善的な父に社会的不正を感じとる息子との対決が描かれていた。また同時に、このテクストは「戦」の比喩を全体に散りばめることで言説のレヴェルでの「戦争」を実践してもいた。その比喩の根源を遡っていくと、対立する親子が、にも拘らず共有しているようにみえる特有の「士族」的特性に突き当たる。相続とは、所得だけでなく、言葉遣いや能力やコミュニケーションの作法にも及ぶのではないか。そのとき、相続可能だが再分配不能なものが残存し、人々の間に新しい分断を繰り広げるのではないか。本発表で用いる「通俗」とは、これは例外なしにみんなに関係していることなんだぜ、というぐらいの意味である。