有島武郎研究会

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第66回全国大会プログラム・発表要旨・各種ダウンロード

2019年11月11日公開
有島武郎研究会第66回全国大会
《特集 白樺派と童話》

有島武郎研究会の第66回全国大会(2019年度秋季大会)を、下記のように開催いたします。参加自由・聴講無料です。ご関心のある皆様のご来場をお待ちしております。

  • 日程 2019年12月14日(土)13:00開会・17:30終了
  • 会場 二松学舎大学九段キャンパス1号館 2階202教室

                    (〒102-8336 東京都千代田区三番町 6-16)

  • 11:00~12:00『有島武郎研究』第二十二号合評会 於:804 教室
  • 〔評議員会〕 12:20〜12:40 於:804教室

===プログラム===

  • 開会の辞(13:00) 

江藤 茂博(二松学舎大学学長)


《研究発表》13:10〜14:00
 (司会)杉淵 洋一
有島武郎の「二」から「一」とニーチェ――「惜みなく愛は奪ふ」までの評論を中心に
何 雯



《特集 白樺派と童話》
 (司会)柳澤 広識



【報告】14:10〜15:50

武者小路実篤と童話―童話劇「かちかち山」を中心として―
寺澤 浩樹

「タブーの崩壊」で呼び出された有島武郎の童話―「溺れかけた兄妹」を中心に―
石井 花奈

白樺派と童心主義
渋谷 百合絵

〔休憩〕15:50〜16:10

【討論】16:10〜17:10

  • 閉会の辞(17:30) 

瀧田 浩


【懇親会】18:00〜

  • 会場 1号館13階ラウンジ

→発表要旨は「続きを読む」をクリック

【研究発表 報告要旨】

有島武郎の「二」から「一」とニーチェ─「惜みなく愛は奪ふ」までの評論を中心に─
何 雯
有島武郎は「二つの道」(1910・5)から始まり、自らの内面における二元的な葛藤を評論群の中で繰り返しながらも、一元への統一を探求し続けてきた。彼は最終的に一元的な境地に辿り付けなかったと言われてきたが、「内部生活の現象」(1914・7〜8)で提示された「魂」という概念によって、そうした葛藤は一時的に抑えられた。そして、「惜みなく愛は奪ふ」(1920・6)では、思想的により論理的な「統一」に到達したと言えよう。こうした動向について、今までの研究はとりわけホイットマンやベルグソンの影響に着目するものであった。
確かに、内的自我である魂が外的自我から分離して存在しうるというような考え方は、ベルグソンに由来するものだと考えられる。そして、外的標準によって評価されるのではなく、内部によって自律しているというような魂の特徴は、明らかにホイットマンの思想からのものである。ただし、「魂」だけでは、有島を統一に導くことができなかった。それは「惜みなく愛は奪ふ」まで待たなければならないのだ。本発表では、そうした有島の思想の変遷に、フリードリヒ・ニーチェも大きな役割を果たしていることを考える。
有島の日記や著作などでのニーチェに関する記述はすでに精査されているが、その思想の中におけるニーチェ受容に関する研究はいまだに数少ないと言わざるを得ない。日記によると、彼はニーチェの主な著作をだけでなく、ブランデスなどが書いたニーチェに関する案内書をも読んでおり、ニーチェに対して極めて高い関心を持っていると言えよう。そして、「草の葉」、「内部生活の現象」、「惜みなく愛は奪ふ」といった「二」から「一」への探求の軌跡を表す評論群の中で、ニーチェは何回も言及されているのである。
「二」から「一」への道のなかで、「惜みなく愛は奪ふ」で提示された三段階の生活は「魂」では欠落している論理性を補ったと考えられる。このような三段階の生活は、有島のニーチェ理解を表しているということを、本発表は明らかにしたいと思う。
 

【特集 趣旨・報告要旨】

《特集 白樺派と童話》
司会者より
 二〇一八年に『赤い鳥』が創刊百年をむかえたことから、昨年から今年にかけて展示会や特集が行われたようである。「白樺派と童話」という今回のシンポジウムの特集テーマも、『赤い鳥』創刊百年と無関係ではないであろう。周知のように、『赤い鳥』には有島武郎が「一房の葡萄」を発表している。
白樺派の作家、なかでも志賀直哉に関して言えば、志賀自身が童話として書いた作品はひとつしかない。大正九年一月、『金の船』に掲載された「菜の花と小娘」である。しかし、『志賀直哉文芸童話集』(三十書房、一九五〇年十月)には、「小僧の神様」や「母の死と新しい母」、「清兵衛とひょうたん」(瓢簞はひらがなで表記されている)が収録されており、童話や児童文学とは何かを改めて考えさせられる。また、志賀が幼少期に巌谷小波『こがね丸』に感動している点を鑑みれば、白樺派の作家が書いた童話という視座のみならず、童話から彼らが受けた影響という側面も興味深い。
話題がそれるが、二〇一九年九月号の『文学界』では、「「文学なき国語教育」が危うい!」という特集が組まれており、有識者が意見を述べている。大学入試や高等学校の国語教科書、学習内容の変更などが旺盛に議論されてきている。童話や児童文学について考えるとき、教育という観点は避けて通れないものであろう。「白樺派と童話」というテーマの広さには、今日の文学の問題が多く含まれているのではないか。
今回は以下の三名に発表していただく。寺澤浩樹氏は、武者小路実篤「かちかち山」について、石井花奈氏は、有島武郎「溺れかけた兄妹」について、渋谷百合絵氏は大正期を射程に白樺派と童心主義の関係について、それぞれ論じる予定である。微力ながら司会者として、より有意義なシンポジウムとなるよう努めたい。


【パネリスト 報告要旨】

武者小路実篤と童話―童話劇「かちかち山」を中心として―
寺澤浩樹
 武者小路実篤の童話劇「かちかち山」(『白樺』大6・7)の構成上の特質は、原話で問題とされている前半部と後半部の飛躍や不統一が、筋展開においては主人公の兎による爺婆らへの報恩譚として解消され、また人物造型においては兎の計略・動機・および狸の欲深さの描出によって一貫性が与えられた点にある。また、こうした原話の改変によって、登場人物相互の劇的・力動的な関係の構築を通して、結末部の兎と爺の連帯による報復の戦いの勝利の歓喜を描き出した点にある。またこの作品は、登場人物の心理と思考の精細でリアルな表現によって、復讐の〈昔話〉から、信頼という作品の主題や悲壮を帯びた歓喜という情調を持った、近代の〈童話劇〉へと変った。
 この作品を戯曲として読んだ場合は、子どもには難しいと思われるが、大人向けの芸術作品を子どもたちへの教材としていた信州白樺の教師赤羽王郎に慫慂されて創作したこの作品に、武者小路は、その主題が子どもの心にも感じられ得ると信じていた。こうして、〈昔話〉を〈童話劇〉に昇華させた過程に生じた、歓喜から拭い去り得ない悲壮の情調は、まさに武者小路の創作の歩みと一致する。
 なお、「かちかちかち山」を対象とする、その原稿の一三七の修正、および初出誌との間の九四、初刊本との間の一二一、そして武者小路実篤全集との間の一九の異同の意味の検討によって、全集の定本に三六の要修正箇所があること、またそれらの中には、上記の「かちかち山」の主題や情調と関連するものが含まれていることがわかった。

「タブーの崩壊」で呼び出された有島武郎の童話―「溺れかけた兄妹」を中心に―
石井 花奈

「子供の人生問題に答えたものというと、有島武郎ぐらいしかわたしは知らないんですよ。『一房の葡萄』もそうだが、『溺れかけた兄妹』というのがありますね。[略]あれが本当の児童文学だと思うんです」(座談会「子どもの現実と児童文学」/『日本児童文学』一九七八年五月号/メンバーは赤木由子・市村久子・灰谷健次郎・上笙一郎の四名で、引用は上の発言)

一九七〇年代後半、現代児童文学の領域で「タブーの崩壊」が話題となったとき、呼び出されたのは有島武郎の童話であった。「一房の葡萄」は一九二〇年八月、「溺れかけた兄妹」は一九二一年七月の発表であるから、およそ半世紀の時を経てのことである。引用に見られるように、仮に有島童話が「人生問題に答えたもの」であるとすれば、それはいかにして達成されているのか。本発表は主に「溺れかけた兄妹」に焦点を当て、有島童話の再検討を試みるものである。
引用した『日本児童文学』で組まれた特集「タブーの崩壊」の副題は「性・自殺・家出・離婚」であったが、たとえば現代児童文学の成立に大きな影響を与えた『子どもと文学』(石井桃子・いぬいとみこ・鈴木晋一・瀬田貞二・松居直・渡辺茂男共著/一九六七年五月/福音館書店)では、「子どもの文学で重要な点は何か?」の「素材とテーマ」の中で「童話という形式を借りて、死であるとか、孤独であるとか、もののあわれを語ることがどんなに不適当なものであるか」(傍点は引用者による)とも説明されている。このような「人間の陰の部分」(本田和子「タブーは破られたか―陰の部分の物語化をめぐって―」/『日本児童文学』同号)をメインテーマとした児童文学の出現が話題となったのが「タブーの崩壊」であった。
死や孤独は有島童話全体を貫くテーマと言っても過言ではない。それが最も強く打ち出されているのが「溺れかけた兄妹」である。同作には三つの死が描かれている。溺れかけたことで妹に訪れた死の気配、「もうこの世にはおいでになりません」と語られるお婆様の死、そして「妙なことから人に殺されて死んでしま」ったMの死である。とりわけ最も不可解なのはMの死であろう。現段階の見立てでは、このMの死こそが、「タブーの崩壊」で同作を呼び出させた最大の要因であると考えている。その他の有島童話や「人間の陰の部分」を描いた現代児童文学なども視野に入れながら検討し、有島童話再評価の契機としたい。

白樺派と童心主義
渋谷 百合絵
 大正期童話を代表する童話作家小川未明は、〈子供の時分から現在の生活に来る迄、幾多の経験や、いろいろの人生の塵にまみれて来た境遇から飛躍して、再びもとの純一な、輝かしい自然の世界に入り得ることは、独り詩人の特権〉(『赤い蝋燭と人魚』)であるとし、子どもの純真無垢な心、いわゆる「童心」こそ、詩人の反俗の牙城と位置付けた。戦後、こうした「童心主義」は菅忠道ら児童文学者たちによって、子どもを理想化し大人の郷愁に閉じ籠るものであると批判されることになるが、この時期に中村光夫も〈人間の解放が、大人の生活を内面から再組織するところまで徹底せず、子供が理想的な人間像の代用をつとめたという事情は、わが国の近代文学にも大きな特色をあたえています〉(『文学の回帰』)とし、志賀直哉批判を展開していることは、童心主義と白樺派の関係について逆説的に重要な視座を与えてくれるように思われる。
 大正期の童話運動が本格的に開始されるのは『赤い鳥』創刊の大正7年を待たなければならないが、それに10年近く先立って出発した白樺派の文学において、すでに「子ども」は思想的な概念としても、また作品のモチーフとしても重要な役割を果たしていた。例えば武者小路実篤の文章には、自己と自然との関わりを論じるなかにしばしば〈小児〉が一つの鍵語として表れている。また周知のように志賀直哉は、「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」等で子どもを作品の主軸に据えている。ただし、志賀の描く子どもたちは、自らの心を捉える言葉を持たず、大人から見れば不可解な情動に突き動かされる存在として表れてくる。これは「童心主義」の文学とされた大正期童話、例えば「赤い蝋燭と人魚」の人魚の娘の描き方にも共通する要素と言えるのではないか。だとすれば、そこに童心主義批判を再考する契機を見出すことができるだろう。
 本発表では、白樺派における児童観や作品に描かれる子どものイメージと、童心主義との関係を探ることを通じて、大正期の童心主義が如何なる文化現象であったのかを改めて考えてみたい。