2026年11月3日公開
有島武郎研究会第80回全国大会
有島武郎研究会の第80回全国大会(2026年度秋季大会)を、下記のように開催いたします。
- 日程 2026年12月5日(土)13:30開会
- 会場 オンライン
【Zoomでの大会参加申し込み】
- オンラインでの参加を希望される方は、必ず Zoom ミーティング(無料アプリ)のダウンロードをお願いします。
- 参加希望される際は、以下の URL もしくはプログラムに記載の二次元バーコードからGoogleFormに移動し、大会2日前(12月3日)までに登録を行なってください。
- お預かりした情報は厳重に管理の上、大会運営以外には一切使用いたしません。
申し込みURL https://forms.gle/kJbk1FwsXoSvJHa19
- プログラム:第80回全国大会プログラム
- 会報第79号:会報第79号
===プログラム===
(総合司会)瀧田浩
- 開会の辞(13:30)
石井花奈(運営委員長)
《特集 『白樺』派の〈人道主義〉を再考する――周縁の文学者の視角から――》13:40~16:20
(司会)井上萌香
【報告】13:45~15:00
有島武郎に応答する――『静思』論争以後の倉⽥百三――
中村建仏教復興期の離合集散――佐藤春夫と武者⼩路実篤の仏教論――
中嶋優隆中村光夫から⾒る『⽩樺』派――〈⼈道主義〉と志賀直哉をめぐって――
貴⽥航
- 15:00~15:20 休憩・質問募集
【討議】15:20〜16:20
- 閉会の辞(16:20)
梶谷崇(会長)
===発表要旨===
○特集
- 運営委員会「特集趣旨」
専攻は何ですかと聞かれて、「有島武郎をはじめとする『白樺』派を研究しています」と答える。すると相手は、「『白樺』派ねえ」と、何で好き好んでそんなつまらなそうなものを研究するんだという顔をする。このような経験を繰り返してきた。試みに手許の国語便覧をひもとくと、「自然主義の人間観とも、耽美的傾向とも違う、トルストイの影響を受けた明るい理想主義的な人道主義の立場をとり、それぞれの個性・自我を尊重した」(『常用国語便覧』二〇一二・一〇、浜島書店)とある。「理想主義」とか「人道主義」とか言われると、たしかに道徳の教科書じみたものを想像してしまうが、実際に『白樺』派の作家・作品に親しんでいる人間からすれば、必ずしもそうではないことはよく分かるだろう。
つとに、本多秋五が「有島武郎といふ存在そのものが、『白樺』派に対するもつとも本質的な批評であつた」(『『白樺』派の文学』一九五四・七、大日本雄弁会講談社)と指摘したように、『白樺』派の作家と言っても一枚岩だったわけではない。また、「人道主義」という評価の成立を丹念に辿った中山佳奈「白樺派に対する「人道主義」評価の起点」(『語文論叢』三〇、二〇一五・七)によれば、この評価は同人ら自身による自己規定として打ち出されたものではなく、むしろ評価語として独り歩きし、そのイメージが定着していったという。
そこで本特集では、〝『白樺』派=〈人道主義〉〟という文学史的な位置づけを、周縁の文学者たちの視角から捉え直すことを企図する。『白樺』派の作家たちは、同時代からその後の時代にかけて、どのような作家として捉えられ、また、何がその「らしさ」として見出されてきたのか。
このたび、有島武郎×倉田百三、武者小路実篤×佐藤春夫、志賀直哉×中村光夫という三つの組み合わせでご発表いただける運びとなった。一九二〇年代から一九五〇年代を射程とし、各々の作品や思想、さらには後代における批評から〈人道主義〉評価を多角的に捉え直すとともに、『白樺』派研究の新たな可能性を探りたい。
- 中村建「有島武郎に応答する――『静思』論争以後の倉⽥百三――」
大正期以来、『白樺』派の作家には「人道主義」という単語がまとわりついてきた。同時代の文芸時評を見ると、有島武郎や武者小路実篤とともに、倉田百三が「人道主義」の作家とされていたことが目につく。倉田は『白樺』の衛星誌『生命の川』に出世作『出家とその弟子』(一九一六・一二)を発表したほか、武者小路の「新しき村」への関与、長与善郎との交遊など、『白樺』派と深い関わりがあった作家である。特に有島との関係では、有島が『出家とその弟子』を評価したこと、倉田の評論集『静思』(一九二二・六、曠野社)に有島が反論した『静思』論争がよく知られている。『静思』における、思想家は時代を超越した存在である、労働問題は個人対人類の問題であるという主張に対し、有島は、思想家は時代に立脚すべきである、労働問題は階級の存在によるものであると批判した。その後両者が反論しあうも、有島の自死によりこの論争は幕を閉じた。
その後の倉田は有島からの批判を受け止めて評論を展開した。また、戯曲においても有島への応答が見られる。特に、戯曲「赤い霊魂」(『赤い霊魂』一九二五・一一、岩波書店)は、紅野謙介(『検閲と文学』二〇〇九・一〇、河出書房新社)によれば「有島シンドロームのなかにあった」という。暴力革命を煽動しかねないとの理由で発禁処分を受けたこの戯曲は、社会主義革命を企てる人々と暴力革命を否定するコミューンとの対立を題材としている。また、さらに後年の戯曲「恥以上――おぎんと琴弾き」(『恥以上』一九三〇・五、改造社)では、思想家を象徴したと思われる琴弾きが、自分の道を押し通して孤立していたところから社会の中で他者と共に生きるまでが描かれている。
そこで、本発表では『静思』論争以後の一九二〇年代から一九三〇年頃までの倉田の戯曲作品を中心に取り上げ、倉田が有島に対してどのように応答したのかを分析することで、両者の「人道主義」の内実を明らかにしたい。
- 中嶋優隆「仏教復興期の離合集散――佐藤春夫と武者⼩路実篤の仏教論――」
大逆事件に際して同郷の大石誠之助を失った佐藤春夫は、自らをも「日本人ならざる者」という否定形で捉え、アイデンティティの不安を抱え込んだ。その不安からの自己救済として、初期の評論では「詩」や「芸術」の理念が極度に理想化され、自己の「個性」を国家を超越して生かそうとする「芸術家」が目指されるようになるが、その背景には白樺派に対する憧憬があったと推察される。たとえば、エッセイ「武者小路実篤氏に就て」(『中央公論』一九一八・七)では、「白樺派」を象徴する思想家として武者小路実篤を名指しつつ、その自己肯定の主張や人道、愛の高唱を「詩人のやうに歌ふて居る」という表現で高く評価している。春夫にとって白樺派の自己肯定は理想的な(ゆえに実現困難な)思想だったのである。
一九二〇年代に入り、こうした憧憬すべき思想の同時代状況に対する有効性を懐疑する方向にも向かったが、一九三五年前後の仏教復興期に春夫は、「芸術」と自己肯定の関係、あるいは「人類」を視座としたコスモポリタニズムを再び論じるようになる。そこで注目すべきが、大東出版社が刊行した『仏教聖典を語る叢書』である。この叢書の第四巻『観無量寿経』(一九三五・一)は春夫が担当し、第六巻『維摩経』(一九三四・七)は武者小路が担当した。また、第一三巻『一枚起請文・歎異鈔』(一九三七・七)を倉田百三が担当している。この叢書は、作家が仏教経典を自由に語ることを売りにした叢書だったが、そのなかで春夫と武者小路は「人類」を視座とする共通した議論を展開している一方、「個人主義」や「自己の完成」に対する態度の差異も見出せる。仏教への言及を軸とすることは、各々の思想を捉える有効な視座になり得るのではないか。
以上を踏まえ、本発表では『仏教聖典を語る叢書』での思想を中心に比較検討することを通して、春夫と武者小路の思想の内実を明らかにし、その行方を見定めることを試みたい。
- 貴⽥航「中村光夫から⾒る『⽩樺』派――〈⼈道主義〉と志賀直哉をめぐって――」
戦前から「二葉亭四迷論」(『文学界』一九三六年四・六・一〇月号)を発表するなどの活躍を見せていた中村光夫は、戦後になるとより意欲的に評論へ取り組むようになる。視野は日本近代文学全体にまで広がり、『風俗小説論』(河出書房、一九五〇年)といった大部な評論を書き上げるにまで至る。
中村の評論では多くの作家や作品が議論の対象となってきたが、その中には『白樺』派も含まれている。彼もまた、『白樺』派に対するイメージとして「人道主義」という表現を用いた一人であったが、そこに肯定的な調子は感じられない(「自然主義文学以後」伊藤整編『日本の文学』毎日新聞社、一九五一年所収)。一派としての思想が「全体としてもまとまつた体系をなすものではな」く、「時代の気分の漠とした反映にすぎぬ性格を多分にも」つという中村の評価は、彼等が理想ばかりを無闇に掲げているというありふれた批判に接近しているように思われる。
しかし、このような評価を『白樺』派に対する一般的なイメージに回収してはならない。「人道主義」という表現自体が空洞であるという指摘が既になされているが、この指摘に基づくならば、「人道主義」に寄せて語られる『白樺』派への評価の内には、中村が評論を活発に行った同時代――特に一九五〇年代――における文学の様相が関わっていると考えられる。戦後間もない時期に、当時の社会状況を絡めながら日本近代文学を振り返る中村の手付きには、抜き難く彼独自の問題意識が浸透している。文壇において存在感を放っていた中村の主張を辿ることは、『白樺』を周縁から捉え直す上で重要なのではないか。
そこで本発表は、主に一九五〇年代に発表された中村光夫の評論に焦点を当てたい。まずは日本近代文学に対する中村の評論を分析することから、同時代における文壇の状況、更にその中で中村の立ち位置がいかなるものだったのかを押さえる。これらを踏まえた上で、中村が「人道主義」という表現に寄せて『白樺』派、特に志賀直哉をいかに論じていたのかを明らかにしていく。