有島武郎研究会

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第54回全国大会プログラム・発表要旨・各種ダウンロード

2013年10月18日更新
 有島武郎研究会の第54回全国大会(2013年度冬季大会)を下記のように開催いたします。参加自由・聴講無料です。ご関心のある皆様のご来場をお待ちしております。

  • 『有島武郎研究』第16号合評会 9時開会〜10時20分終了
    • 会場 二松学舎大学 1号館 9階 922国際政経共同演習室
    • 進行 唐澤聖月・山口直孝

  • 開会の辞(10:30) 二松学舎大学学長 渡辺 和則

【研究発表】
司会 相澤 毅彦・下岡 友加
里見とん『銀二郎の片腕』論
 ―語り手の〈興味〉と美の表象―
鈴木 俊介
有島武郎『宣言』における女性造形
 ―Y子からN子へ―
張   輝
【昼食休憩・評議員会】(12:00〜13:00)

特集《新世紀『カインの末裔』―テクストからの出発― 》
総合司会 上牧瀬 香

【講演】(13:00)

  「有島作品の映像化をめぐって」
(映画監督・映像作家)奥 秀太郎

【シンポジウム】(14:50)
司会 中村 三春

『カインの末裔』の〈暴力〉
竹内 瑞穂
チェルカッシュ、カインの末裔、如き。
 ―小林多喜二「防雪林」における「自然」と「人間」―
島村  輝
世俗的思考と文学(芸術)的思考から問い直す
山田 俊治

  • 閉会の辞 有島武郎研究会会長 三田 憲子

懇親会(18:00〜20:00) (会場)13階ラウンジ

→発表要旨は「続きを読む」をクリック
【研究発表要旨】

里見とん『銀二郎の片腕』論
 ―語り手の〈興味〉と美の表象―
鈴木 俊介
 『銀二郎の片腕』のみを取りあげた研究論文はいまだ書かれていない。そのため、異同や同時代評等も把握されておらず、大幅な加筆の重要性についても問われていない。物語の舞台やモデルについては言及があるが、これらの点も充分に検討されているとはいえまい。里見の『文章の話』や志賀直哉『正誤』などを読めば、誘惑に耐えるべく自らの指を切り落とす神父が登場するトルストイ『神父セルギュース』に里見が親しんでいたのは明らかだが、小堀桂一郎はこれには触れず、(森鴎外も訳した)ゴーリキー『センツアマニ』のみを典拠として指摘し(同作との類似性は、大正六年に江口渙も触れている)、小谷野敦もこの説を支持している。
 亀井志乃は「共鳴する空間―中戸川吉二と里見紝の北海道/東京―」において、銀二郎の行動を「自罰などではなく、もっと攻撃的なもの」とした。嘘をつかれた際に耳滓を投げつけたように、切られた左腕は彼女の穢なさと、銀二郎の激情が形象化されたものだという。結末部の解釈に触れた唯一の論考であるが、しかし、銀二郎が女主人へ愛情を抱き、「幻」を再形成していく過程を考慮すると、切られた腕を耳滓と同列に置いてしまうのは、いささか性急に思われる。この左腕は、銀二郎がもつ潔癖の頑ななまでの美しさをも表象していると考えられるからだ。
 里見は新進作家としての地位を固めつつも、前年に志賀と決別し、「白樺」からも離れ孤独の中にいた。女主人に〈潔癖〉を投げる銀二郎の姿を、文壇に自らの主義を問う里見の姿に重ねることもできる。同年七月、有島武郎も『カインの末裔』で北海道を舞台に暴力的な主人公を描いている。志賀直哉『和解』のような、心的境地を如実に描く私小説が評価される一方で、こうした潮流が少なからずあったことは興味深い。『銀二郎の片腕』は、「女主人が彼の片腕を、どういう風に受け取ったか」に語り手が〈興味〉を示しながら、終わる。本発表においては、語り手を含めた作品分析を中心に、異同や同時代の文壇状況等もからめ、総合的に論じてみたい。

有島武郎『宣言』における女性造形
 ―Y子からN子へ―
張   輝
 有島武郎の作品『宣言』は、AとBによる往復書簡とY子の手記から構成された書簡体小説である。従来、書簡の配列順序で読まれ、Y子の造形も三人の関係から捉えられている。例えば、菅谷敏雄は三人の「生の構造」を分析して、Y子の「変心」の理由を論じている(「『宣言』論(上)」、『文研論集』22、一九九三、九)。しかし、作中では、Y子の心はAからBに移ったが、先にY子に興味を示したのはAではなくBであったという設定は看過することができない。そのため、Y子の「変心」についてあらためて検討する必要がある。また、石田仁志はY子の存在を「不透明の他者」として捉えている(「『宣言』論――恋愛物語の形成と解体――」、『解釈と鑑賞』72―2、二〇〇七、六)。確かに、AとBを中心に考えるなら、Y子は他者性を持っている。しかし、小説全体から見ると、書簡の内容はほとんどY子に関するものである。三人のやり取りから、A、Bと恋愛していた時のY子のみならず、幼少時から二十歳までのY子の成長を読み取ることができる。そのため、本発表では、Y子の成長を焦点として、AとBのみならず、Y子の家族をも分析対象に入れ、Y子の各段階の変化を分析し、作品を読み直そうとする。
 また、先行研究では論じられていないN子の役割が重要である。作品の前半部分において、名前がなく、ただAの妹として登場したN子が、後半部分において、A、B、Y子の恋愛関係に巻き込まれ、いわば四角関係の恋愛の一員となっている。また、既に求婚されているN子は、自分の婚姻について様々な考えを持っている。N子は登場する場面が少ないが、覚醒した女性として成長していく可能性を秘めている。小説はY子の宣言で終わったが、Y子とBは社会から疎外される人間となるに違いない。そして、肺結核を病んだ二人がいつまで戦えるかは定かではない。したがって、作品において、Y子と同じく結婚適齢期にあるN子は覚醒したY子を引き継ぎ、社会と調和する道を選んで、成長していくことが暗示されていると思われる。このように、有島武郎は『宣言』において、覚醒した女性の宣言に留まらず、その出口を開いていると言えるだろう。
 有島武郎の小説は、悲劇的な結末がほとんどであるが、その裏に、期待と希望を秘めている。これが有島武郎作品のパターンである。

【特集 趣旨・要旨】
《新世紀『カインの末裔』―テクストからの出発―》

【司会者より】
中村 三春
 上杉省和は、『有島武郎―人とその小説世界』(一九八五・四、明治書院)において、「カインの末裔」の研究史を(1)「農民(小作農)を描いた客観的写実小説としてとらえる立場」、(2)「自然人(原始人、野蛮人)の社会(文明)に敗北してゆく悲劇を描いた観念的実験小説としてとらえる立場」、(3)「主人公に仮託した作者の自己告白小説としてとらえる立場」の三系統に分類した。それから三十年近くの時が流れ、人は遷(うつ)り、研究理論の動向も有為転変を窮めた。
 だが、「カインの末裔」(『新小説』大6・7、有島武郎著作集第三輯、大7・2、新潮社)は、相変わらずここにあり、有島の出世作として、また『白樺』派文学の代表作の一つとして文学史にその名をとどめるとともに、その名に誘(いざな)われた新たな読者を得つづけている。しかし、今やその評価の水準を更新しなければなるまい。まずは、この三十年の研究の歩みを念頭に置きつつ、現在、何が問題となるのかを明るみに出すことが求められる。そして、新しい世紀に似つかわしい新たな面を切削し、次の時代に受け渡すことが必須の仕事となるだろう。
 たとえば、日本の農業をめぐる状況は、グローバル化の流れの中で激変しようとしている。だがこのような状況は今突然に始まったことではなく、「カインの末裔」発表当時にも確実に発生し進展していたことだろう。この作品の国際性については、現代の観点から何が言えるのか。あるいは、有島の文芸様式や作家としての思想のあり方についても、最近において新視角からの検証が相次いで提出されている。「カインの末裔」の映像性や、社会システムとそれに関するイデオロギーの方面について、現代の読者は何をもって対応すべきか。課題は尽きないと言わなければならない。
 今回のシンポジウムでは、多士済々のメンバーにより、有島文学の原初の土地「カインの末裔」の過去・現在・未来を存分に語っていただき、その可能性と問題点を明らかにして、とりわけ、若い読者にとって有島や『白樺』派の文学の魅力を解き明かすものとしたい。パネリスト・司会者のみならず、参加者からも多くの積極的な発言を期待したい。

『カインの末裔』の〈暴力〉
竹内 瑞穂
 『カインの末裔』を読んだときに強烈に印象づけられるのは、北海道の峻厳な自然と、そのなかで荒れ狂うようにして生きる仁右衛門の姿である。しばしば指摘されてきたように、自然対人間、あるいは人間対人間といった万物の闘争が、この物語世界の基調をなしているといってよいだろう。
 それゆえにであろうか、このテクストには多様な〈暴力〉が、繰り返し描き出されてゆく。仁右衛門の場合でいえば、残り少ない食料である煎餅を妻から奪い取り、自分の畑を通行した隣家の娘を頬がゆがむほどの力で叩き付ける。また彼の〈暴力〉は、浮気相手との逢い引きの最中にもあらわれ、嗜虐的な快楽を生み出す触媒ともなってゆく。これらの〈暴力〉はこれまで、仁右衛門の本能的な欲望が噴出した結果として読み解かれることが多かった。しかし、そのような解釈では、彼が〈暴力〉を行使する際にみせる配慮が看過されてしまうだろう。一見すると、ほしいままに〈暴力〉をふるっているかにもみえる仁右衛門だが、無自覚であるにせよ、誰に/どのような〈暴力〉をふるうべきなのか、あるいはふるうべきではないのかが判断されている。そこには〈暴力〉をめぐる権力構造が、確かに存在しているのである。
 スラヴォイ・ジジェクは、誰によってなされたかがはっきりとわかるような、目に見える「主観的暴力」のみにとらわれず、その背後にあって目には見えないがシステム的に作動している「客観的暴力」を分析すべきだと指摘する。本発表もまた、仁右衛門にみられる「主観的暴力」に焦点を当てつつ、それを支える「客観的暴力」との関係の検討を試みるものである。ただ、このテクストにおいては、後者が前者を一方的に規定しているわけではない点には注意が必要であろう。相互に影響し合う〈暴力〉の重層性に眼を凝らしながら、『カインの末裔』の〈暴力〉がいかなる意味をもち得るのかを再考してみたい。

チェルカッシュ、カインの末裔、如き。
 ―小林多喜二「防雪林」における「自然」と「人間」―
島村  輝
 「一九二八年三月十五日」(『戦旗』一九二八一〇・一一月)によってプロレタリア文壇にデビューする直前の時期に書き継がれた小林多喜二の日記『析々帖』(従来『折々帖』とされてきたが、デジタル資料化に当っての調査の際に表紙の表記を確認した。ここではその表記に従う)の終わり近く、一九二七年一一月二三日の日付を持つ記事には、以下のように記されてある。

「防雪林(石狩川のほとり)」約百二、三十枚位の予定で、三、四十枚程書いて、(月初めに)そのままになってしまった。これは是非完成さしたいと思う。原始人的な、末梢神経のない、人間を描きたいのだ。チェルカッシュ、カインの末裔、如き。そして、更に又、農夫の生活を描く。

また、書き遺された最後の日記記事となった二八年一月一日付では、

「防雪林」は百三十枚迄出来上った。もう十五、六枚で終わりだ。

ともある。
 この作品は結局発表されないままになり、戦後の一九四七年になって、多喜二『全集』の編纂過程で発見されたものである。発見当時、小田切秀雄は「「防雪林」の意義」(『東京民報』一九四七年八月二七〜二九)において、冒頭に近い、鮭の密漁場面を取り挙げ、「最初の五十枚ほどを費やして書かれているこの密漁の場面は、異常な力強さをもって読むものに訴えてくる」と記している。事実この場面は、密漁に向かってから帰るまでの間に繰り返される緊張と弛緩のリズムを持った文体から、「自然」と一体となった野生児・源吉の「強さ」が印象づけられる。祭の晩に行きずりの女に乱暴する場面などを含めて、こうした源吉の人物造形が、「カインの末裔」の広岡仁右衛門像から強い影響を受けていることは明らかである。
 一方『析々帖』の1926年9月19日の記事には、「チェルカッシュ」について「最初に出てくる自然描写は正に世界文学にその価値を堂々「それだけで」主張し得る名文であろう」と記されており、こういったところから多喜二がどういった要素をこの作品に盛り込もうとしたかも問題となる。
 本発表では主に「カインの末裔」「チェルカッシュ」と比較しつつ、「防雪林」においてこれらの作品から取り入れられたものについての分析を加えるとともに、それらの強い影響から脱して、多喜二がどのような新味を表現しようとしたのか、その成否と、さらにより立場を鮮明にしたプロレタリア文学作家へと転身していく道筋を明らかにしたいと考える。

世俗的思考と文学(芸術)的思考から問い直す
山田 俊治
 「カインの末裔」の主人公仁右衛門は、これまでにも抑圧された農民像の反抗、自然人として威圧される存在、神話世界の伝説的形象など、いろいろな捉え方がなされてきた。趣旨文の意図とは隔たることになると思うが、今回は世俗的思考に対する文学(芸術)的思考という観点から読み直してみようと思っている。世俗的思考と文学(芸術)的思考とは、たとえば、高山樗牛「美的生活を論ず」(一九〇四・二「太陽」)の次のような一節に見出すことができる。

世に守銭奴と称するものあり、彼れは金銭を貯ふるを以て人生の至楽となす。是れ明かに金銭本来の性質を遺却し、手段を以て目的と誤認したるものなるを以て、道徳上の痴人たるを免れざるべし、而かも金銭其者を以て人生の目的と信じたる彼れは、学術其物を以て人生の目的と認めたる学者の如く、既に美的生活中の人たるなり。

樗牛は、この世俗的には「痴人」とされる守銭奴を「美的生活」の「至福」「楽地」にあるものとして肯定して、文学(芸術)的な独自領域に天才的存在を仮定していくことになるのである。このように、文学(芸術)的思考は、世俗的思考との緊張関係の中で、その圏外に措定されることになったのである。
ところで仁右衛門はどうであろう。彼は周囲の農民より傑出した肉体的資質を持ち、彼らを睥睨する人物である。その意味では、文学(芸術)的存在であり、それゆえに主人公であり得たといえる。しかし、「今にな俺ら汝に絹の衣装べ着せこすぞ」と妻に告げる彼の夢は、「三年経つた後には彼れは農場の大小作だつた。五年の後には小さいながら一箇の独立した農民だつた。十年目には可なり広い農場を譲り受けてゐた」という世俗的なものであった。この世俗的な夢は、あたかも守銭奴のように彼を痴人的な行為へと駆り立てるのである。しかし、それゆえに退場を余儀なくされるこの文学(芸術)的形象は、一面では優れて俗物と見ることもできるだろう。彼は一体何者なのか、その辺について考えてみようと思っている。