有島武郎研究会

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第56回全国大会プログラム・発表要旨・各種ダウンロード

2014年11月1日更新
 有島武郎研究会の第56回全国大会(2014年度冬季大会)を下記のように開催いたします。参加自由・聴講無料です。ご関心のある皆様のご来場をお待ちしております。

  • 日程 2014年12月6日(土)11時開会・17時30分終了
  • 会場 日本橋学館大学(日本橋女学館中学・高等学校 多目的ホール)
    • 会場は土足禁止のため、スリッパ等の上履きをご持参ください。
  • 交通
    • JR総武線(各駅停車)・都営浅草線 「浅草橋駅」 徒歩3分
    • JR総武線(快速) 「馬喰町駅」、都営新宿線 「馬喰横山駅」 徒歩5分
    • JR線・つくばエクスプレス線・東京メトロ日比谷線 「秋葉原駅」 徒歩10分
  • 『有島武郎研究』第17号合評会
    • (9:00〜11:00)選択教室(5)(4階)
    • (司会)木村政樹・下岡友加

===プログラム===

  • 開会の辞(11:00) 

日本橋学館大学リベラルアーツ学部総合文化学科長 佐々木さよ
【研究発表】
司会 杉淵 洋一
有島武郎『クララの出家』論 ―曖昧化された「聖」と「性」の境界―
張   輝

【昼食休憩】(12:00〜13:00)試食室(6階)
【評議員会】(12:10〜12:50)選択教室(5)(4階)

【朗読劇】(13:00〜13:40)多目的ホール(5階)

有島武郎戯曲「ドモ又の死」
日本橋女学館高等学校演劇研究系列生徒有志 
(指導)久保田 佑

特集《白樺派戯曲の広がり―大正期の有島武郎・武者小路実篤・郡虎彦―》
多目的ホール(5階)
【報告】(14:00)
司会 井上 理恵
郡虎彦あるいは暗い芝居について    
佐々木治己
武者小路実篤の「反戦戯曲」を読む   
今井 克佳
「御柱」考              
上牧瀬 香
【討議】(16:00〜17:00)

  • 閉会の辞 有島武郎研究会会長 三田 憲子

【臨時総会】(17:00〜17:30)多目的ホール(5階)
【懇親会】(18:00〜) (会場)ボンマルシェ ボンテ浅草橋店 東京都台東区柳橋1-3-5ダイヤモンドレジデンス1F

→発表要旨は「続きを読む」をクリック(coming soon)
【研究発表要旨】

有島武郎『クララの出家』論 ―曖昧化された「聖」と「性」の境界―
張   輝
 『クララの出家』は発表されて以来、キリスト教小説として注目されている。江種満子氏は「クララは出家することによって聖の中に性を包摂させる道に入る」と指摘している(「『星座』論」、『言語と文芸』九一号、一九八一・三)。しかし、この小説は、対立する「聖」と「性」の葛藤を描いているように見られるが、「聖」は「性」に回収され、実在していない。クララにとって、「出家」は禁欲する「聖」の領域に入ることではなく、ただ男性から自分の「性」を解放することのみを意味しているのである。
 作品におけるクララの三つの夢は、男性からの抑圧を象徴的に語っているにすぎない。夢に登場する「父」、「未婚者」などの男性は共犯関係を結び、女性としての「クララ」の「性」を支配しようとする。それに対抗しようとするクララはアグネスと共同体をつくろうとしているのである。アグネスを愛撫するシーンが意味するように、アグネスへのレズビアン的な欲望もクララの内面に潜んでいる。また、クララは「御心ならば、主よ、アグネスとも召し給へ」という一言を残して、出家している。有島武郎は、掲載された雑誌の最後に、付言として「アグネスもクララに続いて凡ての迫害に打ち勝つて、尼僧の群に這入つた事はこの作物にある興味を与へると思ふから一寸書きそへておく。」と書いている。このことからクララとアグネスの女性連帯の形成がまさにそこに秘められていることがわかる。
 「女性」の問題に関心を持っていた有島武郎は、作品の中で戦う女性を常に一人で登場させているのではない。『宣言』では、男性に対抗するため、戦う女性は集団という形で登場させ、共犯関係を作りあげている。だが二年後に発表された『クララの出家』に出てくる女性たちの関係は同性愛的な方向に転じている。この変化は有島武郎の女性観を研究する上で重要なテーマである。

【特集 趣旨・要旨】
特集《白樺派戯曲の広がり―大正期の有島武郎・武者小路実篤・郡虎彦―》

【司会者より】
司会 井上 理恵
 今回のシンポジュームは、白樺派作家たち三人―有島武郎・武者小路実篤・郡虎彦―の戯曲について討論することになった。このテーマはこれまで試みられなかったのではないかと思う。三作家の現実把握、演劇に向かう姿勢、戯曲への思い等がよくわかり、これまでにない成果が上がるのではないかと期待している。
佐々木さんは郡の「道成寺」(一九一二年)と前年の大逆事件周辺を、今井さんは、反戦戯曲としての「その妹」「ある青年の夢」(一九一五、一六年)と第一次世界大戦との関わりを、上牧瀬さんは有島の「御柱」(一九二一年)と地方の歴史的行事の関係を、各人調査検討して新見を提出すべく、現在考慮・奮闘中である。
 一見関わりがなさそうに思われるかもしれない。が、大逆事件はわたくしたちの国が東洋の雄になるための国家戦略と大きくかかわり、第一次大戦は対岸の火ではあったが、経済・文化の繁栄がみられ、他方でさらなる弾圧強化が行われて国民生活を変えた。そして日本が世界へ飛翔するためには、国民の原点に横たわる《思想》ともいえる地方の伝統的行事の存在は重要であった。国家は一部の知識階級と圧倒的多数の大衆から成るからである。
現在、わたくしたちの国を襲っている〈恐怖の現状〉とも無縁ではない。パネラーと会場の参加者との討論も予定している。奮ってご参加願いたい。

郡虎彦あるいは暗い芝居について    
佐々木治己
 一九一〇年の大逆事件(幸徳事件)を受けて、文学、演劇に限らず多くの知識人が直面した問題は、現在から近代文学/演劇を考える上で外すことが出来ないだろう。
 その問題とは、荷風『花火』にあるように、臣民主体から脱却し、新時代を担う主体の代表であった知識人が無力であるという問題であった。荷風は安政の大獄時の文人たちが散人と称していったことをひき、自身を戯作者とし、小山内薫たちは古劇研究会を催し、鶴屋南北を発見する。また、啄木のように大逆事件を凝視する者もいた。
 そして郡虎彦である。今、郡虎彦について知る機会は極めて少ない。三島由紀夫などが触れている為に手にとった者も多いだろう。また、イェイツ、パウンドといった詩人たちを調べていくうちにKORI TORAHIKOとして知った者もあるだろう。市川左団次と小山内薫の自由劇場の演目から『道成寺』の作者として知ることもあるだろう。そして何となく印象として残るのが、能と西洋文学に精通しているが、日本では評価されず、ヨーロッパで活動し、作風は和洋古典の脚色を血と情念で行い、耽美的な文飾をする劇作家。と、乱暴であるが、郡虎彦に対しては現在でもこのように思われるのではないだろうか。
 しかし、郡が描いた血と情念とは何であったのか。啄木が『時代閉塞の現状』で批判したような姦通物というだけではすまないものがそこにはあるのではないか。志賀直哉が『道成寺』を見て不愉快な芝居と言い、森田草平は「暗い芝居」と書いた。この「暗い芝居」が重要なのである。
 知識人の夢の死後、暗い芝居は生まれる。修辞に惑わされることなく描かれるものを見れば、そこには普通選挙法とほぼ同時に治安維持法が制定されたように、日本の近代の暗さが重くのしかかっているのではないだろうか。郡の暗い芝居が示唆する日本近代の陰画を、いま私たちは考える必要がある。

武者小路実篤の「反戦戯曲」を読む   
今井 克佳
 白樺派の戯曲について取り上げるという今回のシンポジウムの事前のやり取りを通じて、他のパネリストが、有島武郎と郡虎彦の戯曲を取り扱い、私は武者小路実篤の戯曲を取り扱うこととなった。武者小路であれば適任の会員は他にもいるとは思ったが、色々な責任上、引き受けることとした。準備がほとんど進んでいないため目論見に過ぎないが発表への思いを提出しておく。
 書いた戯曲の数で言えば、白樺派の中では、もちろん長生きしたということはあるが、武者小路実篤が一番多いのではないか。シンポジウムのテーマは大正期の白樺派戯曲ということであるが、私は、第一次世界大戦と合わせて考えてみたいと思っている。
 かなり以前になるが、たしか「有島武郎と戦争」というテーマで大会のシンポジウムをしたことがあり、私はパネリストの一人で第一次世界大戦についての有島の認識を追おうとしたことがある。その時の試みは、自分の中では、あまりうまくいかなかったように記憶している。滞米留学中に起こった日露戦争にはビビットな反応を見せたとされる有島武郎は、大正期、日本で見ていた第一次大戦についてはそれほどの反応を持たなかったようだったからである。やはりベルエポックと言われた大正期において、有島のような繊細な感覚を持つ文化人にとってもヨーロッパの大戦は対岸の火事に過ぎなかったのかもしれない。
 そんななかで武者小路実篤の長編戯曲「ある青年の夢」(一九一六年)は奇矯な内容だが、「反戦戯曲」としてよく知られているし、「その妹」(一九一五年)もまた反戦的な言質が見え隠れする戯曲である。今回の発表ではこの二作品を中心に分析しながら、そこに見えて来る武者小路の戦争観、第一次大戦への反応、といったものを抽出できればと思っている。
 後に小山内薫・土方与志が創設した「築地小劇場」でも、その戯曲が上演される武者小路だが、上記の戯曲執筆に先立つ時期に小山内薫が始めた「自由劇場」についての座談(「白樺」所収)にも参加しており、「自由劇場」の新劇からの影響の有無も気になる。そのあたりにも言及できるとよいと思うが、今のところは未定である。

「御柱」考              
上牧瀬 香
有島武郎の晩年の創作傾向として「詩への逸脱」が重視されるが、もう一つ、〝演劇への接近〟も考察されるべき事象だろう。彼の死によって打ち切られた「有島武郎著作集」の最終刊は結果的に戯曲集となったし、新作戯曲の構想も、死の目前まで練られていたのである。
そのなかでも「御柱」(1921年)は、最も世間の注目を集めた作であった。しかし、ドラマトゥルギーを論じた井上理恵氏以外、研究史においてほとんど顧みられていない。この作は有島自身による〝創作意図〟への言及が多いため、作品論的な研究態度を受け付けなかったことが、一因しているのだろう。
それゆえに、これまでに未調査のままであった事項――戯曲で描かれた事件と史実との関係や、人物のモデル問題などなど――の整理を、まずは行っていきたい。近年の建築学や郷土史の成果とつきあわせてみると、調査中の現段階においても、次々と意外な事実が浮かび上がってくるように感じている。当日は、時間が許す限り、多くの資料を紹介していきたいと思う。
また、有島の〝演劇への接近〟は、演劇の方からも小説ジャンルににじり寄り、新しい表現を模索していた時期に、ぴたりと重なる。「旧劇」的表現から逃れるように市村座を去った中村吉右衛門が、里見紝による「新樹」を大ヒットさせた後、彼を通じ、満を持して人気作家・有島に依頼したのが「御柱」だった。有島武郎×里見紝×中村吉右衛門というヒットメーカーたちのコラボが、大正後期の演劇史にどのような足跡を残したのか等々、一つの文化現象として新富座公演を考えることにもチャレンジしてみたい。